社長対談~21世紀の世界を見据えて~今を変える力
第5回 イル ギオットーネ オーナーシェフ 笹島保弘氏 × セゾン投信 代表取締役社長 中野晴啓
Vol.1 京都のため、みんなのためのレストラン
●中野
この社長対談の企画は、今の元気がない世の中で生きている人に、少しでも勇気を持っていただきたいという思いでスタートさせました。既成の概念とは違った考えを持っていたり、チャレンジをすることで世の中に刺激を与えている方に対談をお願いしています。笹島シェフにお願いしたのは、京都とイタリアンという全く違う世界の物を組み合わせて新しい笹島ワールドを作ることで、世の中にすごいインパクトを与えているからです。しかも値段も驚くほどリーズナブルですよね。京都とイタリアンという組み合わせといい価格といい、業界の常識を覆すとか、新しい世界を創るということに関してはすごく強い意思をお持ちだと僕は認識しています。もともと、業界に対して何かを変えてやろうといった強い意思を持って起業されたのですか?
●笹島シェフ
最初から独立をしようとは考えていなくて、どちらかというと借金をしてまで自分の店を持とうという気持ちはなかったです。それに自分が料理の世界に入るなんて思っていなかったので、すごく不思議な気分でもありますね。もしかしたら他にもっといい人生があったかもなと思うこともあり、他の道も正直まだ諦めてはいないです。だから55歳くらいには今のお店からは退いて、その後でまた1から何かやりたいなとも思いますね。
●中野
なぜ独立をされたのですか?
●笹島シェフ
独立をしたのは、お客様や僕の周りにいた方々から勧められたからです。そうしているうちに、神様から「やりなさい」言われているのかなと思いましてね。必然性を感じたというか。お店も今は4店舗ありますが、ここまで増やすつもりもなかったですからね。
でも僕と一緒に働いてくれる仲間が増えていくので、彼らの生活を考えると、会社の規模を大きくし、彼らのステージを高めてあげる、あるいは独立ができるスタッフのためにお店を作ってあげないといけない。結果、お店の数も増えていきましたね。
●中野
お店のコンセプトはどうやって決めてきたのですか?
●中野
スタッフをすごく大事にされていますが、何かきっかけがあるのでしょうか?
●笹島シェフ
お店を出すときに、幸いにも銀行さんをはじめいろいろな方に助けていただきました。そうした好意や助けてあげようという思いを僕のところで止めてはいけないという気持ちがありますね。それをどこに還元しようかと考えると、まずは僕と一緒に働いてくれている仲間なのです。その後で、もうちょっと大きな社会貢献に広げていきたいなと思います。
●中野
6月に「トラットリア バール イル ギオットーネ」を京都に出されましたよね?
●笹島シェフ
ここはランチも1,000円からですし、これまでとは違うスタンスで、僕の出発点でもある京都に出そうとずっと思っていたお店です。たとえ1,000円のランチでも、僕たちが作ればこれだけの料理ができることを見てもらいたかったのです。不景気だと言われているからこそ、今のタイミングでお店を出すことで京都のみんなに少しでも勇気を持ってもらいたいと思いますね。
●中野
ということは、シェフがこのお店を出した理由の1つは、京都のためということになりますよね?でも普通の人はなかなかそう考えることはできないと思います。「人のために」と考えるにはどうすればいいと思いますか?
●笹島シェフ
人のためにやろうというのは、意識をしないとなかなかできないと思います。私利私欲であれば、初めの一歩はなかなか出ません。でも一緒に働いてくれている社員がいたり、応援してくれる方がいれば、お店を出そうという勇気が持てるのですよ。僕自身も儲けようという欲だけだったら、一歩は出なかったと思います。
●中野
同じ思いの人が近くにいるということは、すごく勇気が持てることですよね。
●笹島シェフ
セゾン投信さんにも、同じ思いの人がたくさん集まってきているから、すごいエネルギーになっているのではないですか?そういうエネルギーが原動力になっているのは、僕と全く同じですよね。業界は違いますけど、ベースになっている部分は全く一緒です。
●中野
ファンドというのは、みんなが同じ思いを持って一緒に乗っていく船のようなものなので、価値観を共有できていることをみんなが感じれば、それはエネルギーになります。
笹島シェフというともう一流の料理人ですから、最初はすごくかしこまった人なのかなと思いましたが、実はそんなことはなくて全く気負いがない方ですね。
●笹島シェフ
だから、いい意味で変わらないのだと思います。たとえば、ずっと修行をして苦労をしたとなったら、自分一人の力でここまでやってきたんだと考えてしまうと思うのです。もちろん、その人の努力があってそこまできたのだから自信はつきます。でも、僕の場合はそもそも料理人になる気もなかったですからね。だから、自分一人でやってきたという自信はなくて、いろいろな人に助けられたという気持ちが強くなったのです。もしかしたら、自信がないのは悪い意味にもなるのかもしれませんけど、あくまで僕の場合には、おごり高ぶらずにいられるので、逆によかったのかなと思っています。
●中野
なんだか自然体という言葉がぴったりですね。その背景には、みんなに支えられているんだという気持ちがある。それは言いかえれば感謝の気持ちだと僕は思うのです。
●笹島シェフ
これまで本当にドラマチックなことがありましたね。大阪のある会社の社長さんで「何かを始めるときにはスタート時が一番大変なんだ。だから、助けることができるのであれば俺が助けたい」という思いを持った方がいらっしゃいました。ある方にご紹介していただいて、たった1度しか僕の料理を食べてないのに僕もその方に助けられました。その方がいなかったら今の僕はないです。でも東京にお店をオープンさせた3日後に交通事故で亡くなりました。お店をオープンしたばかりで大阪に帰れる状態ではないのですが、とにかく僕は大阪に向かいました。葬儀場には驚くほどの人が駆けつけていて、その方がどれだけの人を助けて、慕われていたのかがよくわかりました。そういうのを見ているから、僕も自分が誰かを助けることができたり、社会に還元できることがあるならばどんどんしていこうと思うのです。この流れを僕のところで止めてはいけない。そう思えてならないですね。
でも、僕も人間なので、やっぱり意識しないと自我がでてきてしまうこともあります。スタッフのことをすごく大切にしていますけど、腹が立つことだってありますからね。だからバランスなのだと思います。
●中野
バランスが崩れたときには、どうやって立て直すのですか?
●中野
笹島シェフは、本当に人を大切にしているという感じですね。これが笹島流リーダーシップでしょうか。
●笹島シェフ
人が好きなのですよ。料理の世界にもストイックな方がいて、弟子は弟子という感じで厳しく考えることもあります。もちろん、それはその方のやり方なので否定しません。ただ僕はそれが苦手なのです。仲間とワイワイやりながらの方が僕は楽しいし、好きなのです。だからそうしているだけです。
1964年、大阪生まれ。高校卒業後、サービスの仕事に魅せられ、レストランの世界へ。その後、料理の面白さに目覚め、料理人に転向し関西のイタリアン数店で修業。24歳のときに「ラトゥール」(大阪)で、27歳で「ラ・ヴィータ宝ヶ池」(京都)でシェフを務めた後、「イル パッパラルド」(京都)を経て独立。2002年、“京都発信”のイタリアンを目指し、オーナーシェフとして「イルギオットーネ」を開店。2005年11月、「イル ギオットーネ丸の内」をオープン。2007年1月、イタリア・ミラノで開催された料理サミット「イデンティタ・ゴローゼ」に日本人として初参加。同年5月、ジョルジオ・アルマーニ氏主催のチャリティーディナーに料理人として参加。2008年10月、京都木屋町に「クチネリーア」、2010年6月、京都四条烏丸に「トラットリア&バール」をオープン。現在、テレビや雑誌など多くのメディアでも活躍し、フジテレビ「料理の鉄人」では初の東西イタリアン対決も経験する。
著書・関連出版物
IL GHIOTTONE 笹島保弘の料理(永末書店)
イタリア料理の展開力(柴田書店)
ハイブリッド・アンティパスト(柴田書店)
イタリアン精進レシピ(本願寺出版社)